韓国・國立釜慶大學校の南澤正(韓国名:남택정、英語名:Taek-Jeong Nam)先生にお会いし、培養魚肉の研究についてお話を伺いました!(取材時:2025年2月6日)
培養魚肉の研究に着手したきっかけ
近年、培養肉研究が世界各国で活発化している一方で、気象変動等の影響により、陸上動物だけでなく海産物の供給も不安定になりつつある。
このような状況の中、ナム先生は海産物の代替物として、アカデミアでの研究実績が少ない培養魚肉の開発をいち早く進めることが重要だと判断したという。また、修士課程時に魚の筋肉組織に関する研究を行っており、培養魚肉開発に必要な基礎知識・技術をすでに習得していたことも、研究開始の後押しとなったようだ。
過去の研究内容は
- オリーブヒラメの特性
2023年、ナム先生は、オリーブヒラメの筋サテライト細胞(Olive flounder muscle satellite cells:OFMCs)を細胞培養し、20 %FBS、28℃、0.8 mM CaCl₂、BFGF条件下で細胞増殖が最大化することを確認した。また、自然不死化を乗り越え、OFMCsの永久細胞株を確立。さらに2 %ウマ血清を培地に添加することで細胞の分化を促進し、多核筋管の形成にも成功した。
図1 オリーブヒラメ
その際、myoDの減少、ミオゲニンの発現、デスミンの増加が確認され(図2)、オリーブヒラメ由来の筋芽細胞が筋管に完全に分化したことを示した。これにより、ヒラメ細胞株が細胞培養シーフードのモデルとして有用であることが明らかとなった。
図2 myoD、ミオゲニン、デスミンの発現量
Undifferrentiated: 未分化サンプル(筋芽細胞)
Differentiated: 分化サンプル(筋管)
myo: 未分化細胞で高発現し、分化プロセスにわたって減少する
筋原線維調節因子
Myogenin: 分化プロセス中に増加する筋原線維調節因子
Desmin: 骨格筋および心筋細胞における主要な中間径フィラメントタンパク質で
分化プロセス中に増加する
- FMCPの有用性
2023年、ナム先生率いる研究グループは、マハタ から筋サテライト細胞(GMSC)を分離し、これを培養・分化させて 魚筋肉細胞パウダー(FMCP) を作製した。さらに、アルギン酸ナトリウム(Alg)とカッパカラギーナン(κ-Car) を基にしたバイオインクを開発し、3Dバイオプリンティングを利用し、スキャフォールドを用いた長さ20 mm、幅20 mm、高さ3 mmの培養魚肉の作製に成功した(図3)。この培養魚肉は、ボイル・フライ調理後も形状を維持し、テクスチャ分析では弾力性や硬さが向上していることが確認された。
図3 scaffoldの調理実験
図4 スパイス・塩で調理した切り身状のAlg-κ-Car-FMCP構造
さらに、電子舌を用いた味覚官能分析の結果、Alg-κ-Car-FMCP構造は、Alg-κ-CarやSBG-fishと比較すると、噛み応えやうま味に優れていることが明らかとなった(図5)。
図5 FMCPの有無による味覚強度のレーダーチャート
Alg-κ-Car: alginate-κ-carrageenan(アルギン酸ナトリウム-κ-カラギーナン)の略称。
Alg-κ-Car-FMCP: alginate-κ-carrageenan - fish muscle cell powderの略称。
SBG-fish: serum-free(無血清)bicarbonate-buffered(炭酸水素塩緩衝系) and Growth factor-supplemented
(成長因子添加)fish cell culture systemの略称。
魚類細胞を培養するための特定の培養システムのことで、ネガティブコントロールの役割を果たす。
※NMSはうま味、AHSは酸味、CTS は塩味に特異的に反応し、PKS、CPS、ANS、及びSCS は汎用センサーとして機能する。
これらの研究により、魚の筋肉細胞粉末(FMCP)は培養魚肉に望ましい食感特性・官能特性を持つことが示された。
今後は、「うま味成分に関わる遺伝子の発現が増加しているのか」「細胞のみを培養しているためにうま味が濃くなっているのか」といった点についても研究を進めていく予定だという。
- マハタの細胞培養
2024年10月には、マハタの筋サテライト細胞をマイクロキャリアを使用して培養し、1 cm角の培養マハタを完成させた。これはまだリリースしておらず、今年3月の日本水産学会で公表予定だという。
図6 マイクロキャリアによるマハタの細胞培養の様子
培養肉にはない難しさ
牛・豚・鶏といった陸上動物の細胞を培養する際には、生体環境に近づけるために培養温度を約37℃に保つ。哺乳類や鳥類の体温が一般的にこの範囲であり、細胞の正常な増殖・分化が促進されるからだ。
一方、海洋生物の細胞培養では、海洋生物は生息環境により適温が大きく異なるため適切な温度管理がより複雑になる。例えば、寒流域に生息する魚類は低温(5〜15℃程度)を好むのに対し、暖流域の種は比較的高温(20〜30℃)で成長する。さらに、培養液の組成も陸上動物とは異なり、海水の塩分濃度や特定のミネラル成分を適切に調整する必要がある。こうした要因が影響し、対象とする海洋生物ごとに培養環境を変えなければいけないそうだ。
今後の挑戦-魚の培養脂肪の研究
ナム先生の研究では、魚の筋サテライト細胞を使った細胞培養には成功したため、今年は培養脂肪の開発に着手していきたいそうだ。
魚の脂肪は牛肉のように脂肪交雑がはっきりした構造ではなく、赤身との境界が曖昧だ。
図7 牛肉と鮭の断面の比較(フリー画像)
この外見を再現するためには、細胞1つ1つに脂肪滴を添加する必要があり、作業効率の向上が今後の課題だという。
今後の挑戦-かまぼこへの挑戦
ナム先生は研究開始当初から「Cell 100 %のかまぼこ」を最終目標として掲げている。
ポワレや魚の切り身のように、腹から尾に向かってサイズや形状が異なるものは再現が難しいため、培養魚肉の商品化の第一歩として、テクスチャや弾力の再現が比較的容易なかまぼこを開発することが重要だと考えているそうだ。そのためにはすり身の実現が不可欠であり、かまぼこの開発後は、最終的に培養魚肉による刺身の実現を目指すという。
また、培養魚肉を作製する上で、培地・培養液も全て同品種の魚由来のものに揃えたいと語った。しかし、机上の話ではあり得るものの、実現には何十年とかかるだろう。そして100 %魚由来の製品を開発する上では、企業との協力が不可欠だと語る。現在、Cell比率が低い培養肉が世に流通しているが、共同開発を進めるのならば自身の望みと合致する理念をもつ企業が望ましいとしている。
筆者より
温厚で穏やかな人柄のナム先生ですが、Cell 100 %の培養魚肉実現にかける情熱は非常に熱く、取材を通してその信念と熱意がひしひしと伝わりました。ナム先生の研究が今後どのように発展し、実用化へと進んでいくのか、ますます期待が高まります。ナム先生の研究のさらなる発展を、心から応援しています!