魚の培養脂肪に取り組むImpactFat の創業者・杉井重紀先生にインタビュー!@シンガポール

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最終更新:2025年1月23日

魚の培養脂肪を研究開発するシンガポールのスタートアップ、ImapacFatを訪れ、創業者の杉井重紀氏にその取り組みをインタビューしてきました!(取材は2024年11月20日に行われたものです。)

なぜ、「シンガポール」なのか

杉井氏がシンガポールを拠点に選んだ理由は、若い研究者が挑戦しやすいエコシステムにあるという。杉井氏がシンガポールに来た当初、政府はアメリカのバイオテックハブのようなエコシステムの構築を試みていた。スタートアップの分野でも特にフードテックは重点分野として注目されていて、政府や研究機関のサポートが手厚い。杉井氏も、「Singapore Food Story(政府が推進する、食糧安全保障や食産業の発展に関するビジョンや戦略)」のグラントを取得し、魚細胞株の樹立に取り組んだという。

米国でPhDとポスドクを修了した杉井氏は、「アメリカも起業しやすい環境ではあるが、既に(スタートアップの環境が)成熟しているので、一人の学生やポスドクが資金を調達するために投資家から相手をしてもらえる環境では(なかった)」と語る。

Agri Food Tech Expo Asia

Agri Food Tech Expo Asia(2024/11/19~21開催)のA*STAR(シンガポール科学技術研究庁)ブース。精密発酵やマイコプロテイン、藻類の研究紹介やサンプル展示が豊富だった。(筆者撮影)

なぜ「魚の脂肪」なのか

杉井氏が代替タンパク質業界に参入する当初、豚や牛、鶏といった哺乳類の培養肉は既に多くのスタートアップや公的機関が技術開発を進めており、細胞株や分化の方法についての論文発表も多かった。その一方で、魚は未開拓の分野であったため、そこに取り組む価値を見出したという。加えて、杉井氏自身が静岡の焼津近辺の出身で魚が身近な存在であったことや、日本人として魚脂肪の健康価値を認識していたことも影響したと話す。


魚脂肪の健康価値:魚の脂肪に豊富に含まれるオメガ3脂肪酸(DHAやEPA)は、心血管の健康や脳機能の向上、美容効果や抗炎症作用が報告されている。


細胞株

複数の細胞株を管理する(杉井氏提供)

魚種を絞ってスケールアップを目指す

杉井氏が最初に樹立した細胞株の魚種は、パンガシウス(日本ではバサと呼ばれる)という白身魚だ。脂肪が豊富で、シンガポールを含め東南アジアでは人気があり現地の市場で手に入るそうだ。他にもニホンウナギ、シーバス(スズキ)、オーストラリアジェードパーチ(オセアニア産の白身魚)、グルーパー(ハタ)等の細胞株を樹立している。

一方で、スケールアップとコストダウンを考えた際に、「魚種を絞る必要がある」と杉井氏は話す。現在、細胞の特性がよく調べられたパンガシウスとニホンウナギの2種でスケールアップを進めているという。ImpacFatでは、10Lより大きな規模での脂肪培養、コストダウン、そして製品化を目指すそうだ。


細胞株:一度分離・培養された細胞のうち、長期間にわたって増殖可能で、安定した特性を持つ細胞群のこと。培養魚を安定的に生産するために必要。


パンガシウス

パンガシウス科の魚(左)とその切り身(右) (photo AC)

最適な脂肪細胞を選び出すには

魚の脂肪の培養は、脂肪が多く含まれる組織(切り身)から細胞を取り出すことから始まる。この分離作業自体は1〜2日程度で終わるが、良質な細胞株を確立するには手間と時間がかかるという。分離した何千もの細胞(幹細胞脂肪前駆細胞)にシングルセルスクリーニングを行う。良い細胞の選別基準は、増殖速度が速く、何代にもわたって継代が可能で、かつ分化能があるものだ。魚の脂肪細胞の培養条件は哺乳類のものとは異なるため、試行錯誤を要するという。樹立したパンガシウスの細胞株は、200回以上の継代が可能で、増殖速度も非常に速いため、安定的かつ大量に生産するのに適した細胞である。


幹細胞:自己複製できる能力と、特定の条件下でさまざまな細胞に分化できる能力を持つ未分化の細胞のこと。

脂肪前駆細胞:脂肪細胞になる前段階の細胞のこと。幹細胞の一種である間葉系幹細胞から分化して形成される。

シングルセルスクリーニング:個々の細胞を解析し、それぞれの細胞が持つ特性や挙動を調べる手法のこと。

継代:細胞が過密にならないように一部を新しい培養容器に移し、増殖を続けられるようにする手法のこと。

分化:細胞が特定の役割や形状を持つ状態へ変わる過程。ここでは、幹細胞や脂肪前駆細胞が脂肪細胞になることを指す。


培養細胞観察

培養細胞をセルイメージングシステムで観察する(杉井氏提供)

細胞に脂肪を作らせる意義

魚の培養脂肪の大きな特長は、オメガ3脂肪酸を安定的に含ませられる点である。もともとオメガ3脂肪酸は光や酸素、熱によって酸化しやすいという特徴があり、植物・藻類から抽出されたり、精密発酵で作られるオメガ3脂肪酸はこの課題を抱えている。一方、脂肪細胞では細胞内に脂肪酸が保持されるため、酸化しにくく、加熱後も安定性が高いという。

培養脂肪を用いて試食会を行う

ImpacFatは今までに、試食会を2回開催している。2022年3月に行われた1回目の試食会では、魚の培養脂肪を使用したプラントベースのシーフードフライを提供した。魚の培養脂肪の試食会は、世界で初めてである。フライの具材に10%の培養脂肪を加えることで、脂肪が持つ滑らかな食感を含ませることができたという。

培養脂肪

プラントベースのシーフードに培養脂肪を流し込む(左)混ぜ合わせてフライの具材を作る(右) (杉井氏提供)

フィッシュフライ

試食会でのフィッシュフライ(左)とその断面(右)(杉井氏提供)

2回目の試食会は2023年10月に行われ、プラントベースの餃子を提供した。餃子に用いられた魚脂肪(パンガシウス由来)は、Esco Aster(現地の培養肉生産受託会社)と共同開発したものだ。試食者にブラインドテストを実施し、脂肪を含むものと含まないものの違いを比較させたところ、多くの参加者が両者を区別できたという。実際に試食した杉井氏は、「口に入れる時にとろけるような食感というのは脂肪ならでは」と語る。

餃子

試食会での餃子(左)とその断面(右) (杉井氏提供)

食品と化粧品の認可を目指す

ImpacFatは現在B2B事業モデルを想定していて、自社で製造した培養脂肪を、代替肉を製造する企業に提供する形で代替肉生産に関わっていく方針だ。そして魚の培養脂肪を製品化するにあたって鍵を握るのが、スケールアップとコストダウンだと指摘する。「スケールアップと一口に言っても、培地の量を増やすだけでなく、高密度で培養して効率よく収量をあげるかという方が大事」と話す。日収量で100から1,000キロ単位で生産することを将来的に目指す。また、培養条件の違いによる脂肪の風味の変化や、3Dプリンターを用いた構造化食品や、マヨネーズの代替物といった機能性原材料の開発にも意欲を見せる。

ただし、規制当局による新規食品の承認には時間がかかるため、食品開発も同時並行で進行させつつ、まずは2025年内に化粧品用途としての培養脂肪の承認を目指すという。

ImpacFatのチーム

ImpacFatのチーム(杉井氏提供)

シンガポールで挑戦したい若者に向けて

杉井氏は、シンガポールで代替タンパク産業に関わりたい若者に向けて「興味があるならぜひ挑戦してほしい」と語る。シンガポールには、学生や若い研究者に向けたプログラムが充実している。例えば、杉井氏も所属するA*STAR(シンガポール科学技術研究庁)は、学部・修士学生向けの6ヶ月のインターンプログラム(SIPGA: Singapore International Pre-Graduate Award)を提供していて、細胞培養を含め研究の現場を体験することが可能だ。また、博士課程向けには、SINGA(Singapore International Graduate Award)という国際生向けの奨学金があり、最大4年間の博士課程の学費と生活費が受給されるという。さらにImpacFatではインターンの受け入れについて随時相談に応じているそうだ。

筆者より

シンガポールのスタートアップエコシステムの中で、政府や研究機関の手厚い支援がフードテック分野の成長を後押ししている点がとても印象的でした。また、魚の培養脂肪という未開拓分野での試行錯誤や、オメガ脂肪酸を安定的に含ませる役割としての細胞が非常に興味深かったです。シンガポールからの杉井先生とImpacFatのこれからの挑戦も、応援しております!